レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」

ウサギや卵のイメージがあるイースターですが、実はイエス・キリストが復活したことを祝う時を意味します。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵で有名な「最後の晩餐」は、イースターの日曜日からさかのぼった木曜の夜に行われました。

イースターと関連する「最後の晩餐」についてみていきましょう。

初稿:2019年4月18日

最終改定:2022年4月13日

 

 

 

なぜ晩餐をしていたの?

最後の晩餐とは、イエス・キリストと弟子たちが「過越の祭り」を祝うためにしていた食事です。過越の祭りとは、英語で「Passover」、旧約聖書の「出エジプト記」に登場します。短く言うと、神さまが奴隷として扱われていたイスラエル人を、エジプトから助けてくれたことを思い出す祭日です。この過越の祭りでは、子羊、苦菜、種を入れないパンを食べるよう、神さまは人々に命じました。出エジプトの時代からずっと、イスラエル人たちは毎年この祭りを守り続け、イエスとその弟子たちも行ったのです。

最後の晩餐の絵はどこにあるの?

美術館! ではなく、実はイタリアのミラノにある「サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィェ修道院」の食堂の壁面に描かれています。食堂は、湿気もあり、絵にとっては決して良い環境とは言えません。保存環境が良くないだけでなく、この最後の晩餐の絵は、「生き延びた作品」と言われています。それは、大きくあげて3つの苦難を生き延びたからと言うことができます。

まず1つ目には、家畜小屋という環境の中生きのびたことです。ナポレオンの時代、この修道院の食堂は「馬小屋」として使われていました。当然馬小屋となると、衛生的に悪い環境だったでしょう。そういう中でも、この絵は消えることはありませんでした。

2つ目に、この地域に大洪水が発生し、水浸しになっても生き延びました。

そして3つ目に、空爆を受けても生き延びました。この修道院は、第二次世界大戦の時に空爆を受け、屋根のない状態が続きました。それでもなお、この絵が崩壊することはありませんでした。

このような度重なる災難にもかかわらず、奇跡的に残った作品だから「生き延びた作品」と呼ばれるそうです。

絵が伝えようとしていることは?

イエスは最後の晩餐で、弟子たちに沢山のことを語りましたが、絵に表されているのは「ユダの裏切り」と「聖餐式」です。


1. ユダの裏切り

聖書によると、イエスは最後の晩餐でこう言いました。

「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」マタイの福音書26章21節

「一体誰が裏切るんだ!? 」と、弟子たちの間で動揺が走ります。その右往左往したシーンがこの絵から読み取ることができます。イエスを裏切った弟子「ユダ」は、中央のイエスから左に3番目の人物です。ユダの右手を良く見ると、銀貨入りの袋を持っているのがわかります。ユダは、イエスを銀貨30枚で祭司長たちに売って引き渡したのでした。


2.聖餐式

イエスは最後の晩餐で、パンを「わたしのからだ」、ぶどう酒の入った杯を「わたしの契約の血」と言って弟子たちに配りました。一体どういう意味でしょう? おそらく席に着いていた弟子たちも「?」となっていたのではないでしょうか。冒頭で出てきた「過越の祭り」は、子羊とパンを食しながら、人々が奴隷から救われたことを思い起こす時でした。子羊の肉を食べるには、まず血が流されなければなりません。イエスはこの過越の日に、「子羊=わたしの血、パン=わたしのからだ」をもって、あなたたち人々を罪の奴隷から救うのだと語ったのでしょう。そして実際に最後の晩餐の翌日、イエスは神の子羊として、人々の罪を背負い十字架にかけられていくのでした。ゴスペルの歌詞でも頻繁に「Lamb=子羊」という言葉は、そういう意味が込められているのです。

今なお全世界の教会で、イエスの十字架と復活を思い起こすために行っている「聖餐式」は、ここから来ているのですね。

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Post Author: ARTOS事務局

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