母の日になると、感謝の気持ちを込めてカーネーションを贈ります。
でも母の日は、いつ誰が始めたのでしょうか?
母の日の起源
母の日は、1908年5月10日、アメリカの「アンナ・ジャービス」さんが始めたとされています。(1872 年にジュリア・ハウさんが反戦を唱えるべく、母による平和の日を提示した日が最初とも言われています。)
アンナの母「アン・ジャービス」さんは、とても熱心なクリスチャンでした。教会で行われる子ども向けの日曜学校の先生もしており、娘のアンナも母アンの信仰や祈りの影響を受けて育ちます。
1905年アンナが41歳の頃、母アンは天に召されます。そして3年後の1908年、娘アンナは、母への追悼と全ての母に敬意を表すため、ウェストヴァージニア州グラフトンの教会でセレモニーを開きます。そこに参加された皆さんに、母が大好きだった「白いカーネーション」を贈りました。この教会で行った母へのセレモニーが、「母の日」の始まりとされています。
アンナのそのような思いは広がり、1914年、ウッドロウ大統領により5月の第2日曜日は国民の祝日「母の日」と制定されたのです。
白いカーネーション
アンナの母アンが大好きだった白いカーネーション。それは母の日のシンボルとなりました。そんな白いカーネーションについて、1927年のインタビューでアンナはこう語ります。
白は、母の愛の真実、純白、広い慈愛の象徴。
その香りは母の想い出、母の祈りそのもの。カーネーションは 花びらを落とさず
その命つきるまで 心にだきしめる。
同じように母も 子どもを心のうちにだきしめる。
たえることのない愛とともに。この花を選んだ時、白桃色の母のベッドを思い出したのです。Anna Jarvis
日本で広まったきっかけ
アンナの思いは日本にも広まりました。それは、明治から昭和初期に青山学院に関わった3人の女性宣教師「マイラ・E・ドレーパー」「メアリー・J・ホルブルック」「ファニー・G・ウィルソン」の働きでした。中でもマイラは、アメリカで始まった母の日を知り、日本でも広めようと、1913年に日本で最初の母の日を行ったそうです。
約100年経った今も、アンナの母への祈りが込められたカーネーションは、日本中で贈られ続けているのですね。